【映画で語ろう】カムシネマ★3分で語れるようになるポイント【ネタバレあらすじ】

映画を観たなら語りたい。映画の紹介から、ネタバレあらすじ、著者の独断と偏見による「語りポイント」まで。

3分で映画『最終目的地』を語れるようになるネタバレあらすじ

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基本データ・おススメ度

『最終目的地』
原題:The City of Your Final Destination
2009年 アメリカ)
出演:アンソニー・ホプキンス、シャルロット・ゲンズブール、真田広之、ローラ・リニー、オマー・メトワリー

 おススメ度 ★★★★★(5/5)

 びっくりするような展開は一切ないけども、良質で暖かい、良作映画と言い切って間違いないでしょう。心に響いてくる名セリフも多い。真田広さんがこんな文学的な映画で流暢な英語のセリフをこなしているのも見どころ。

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◆目次

あらすじ(ネタバレなし)

 大学で文学教師として働く青年オマーは、自殺した作家の伝記執筆を願っていたが作家の遺族から拒絶されていた。

 オマーは亡き作家が暮らしていた南米ウルグアイへと向かう。そこでは作家の兄のアダム(アンソニー・ホプキンス)が、妻のキャロライン、愛人アーデン(シャルロット・ゲンズブール)とその幼い娘ポーシャ、ゲイの恋人ピート(真田広之)と、奇妙な共同生活を送っていた。

 オマーは彼らから伝記執筆の許しをもらうために、しばらくの間共に過ごすことにする。

==以下ネタバレ==

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ネタバレあらすじ

 大学の教員、オマーは自殺した作家の伝記を書こうと遺族に会いにウルグアイに行く。

 作家の兄であるアダム(アンソニー・ホプキンス)が、変な暮らしをしている。

元・妻、愛人、ゲイの愛人、を一同に集めた共同生活。

 そこでいろいろあり…平凡な生活に、オマーという異分子が入ったことで刺激を受け、それぞれが「生きる目的」の確認をするお話。

  後半、オマーが入院し、妻・ディアドラがアメリカから駆け付ける。一緒にアメリカに帰国することになるが、オマーは、実は、妻よりもアーデン(シャルロット・ゲンズブール)のことが気になっていた。

 数か月後、アーデンのことを忘れられずに再び戻ってきた。アダムとピートもオマーを応援する。アーデンの元へ走り、抱き合う二人。

つまりこんな映画(語りポイント)

 シャルロット・ゲンズブールが「アンチクライスト」「ニンフォマニアック」で魅せた狂気を温存して普通の女優さんやってます。普通にすると普通に魅力的な人

 真田広之が、アクションでも忍者でもなく、こんな文学的な映画で流暢な英語のセリフをこなしている。。

 結末は総ハッピーエンド

 特に細かいストーリはあまりなく、必要最低限の展開とと心地よい雰囲気で淡々とその世界観を描いていき、最後に一気に着地点に向けて動き出す。

 一見、奇妙な関係を受け入れながら暮らしていた彼らだったが、そこには、当然、少なからず歪みがあり、それがやがて肥大化していくと想像できる。おそらく、オマーの来訪がなければ、きっと、いずれ全員に不幸が訪れていたであろうことは、映画の後半で暗示されています。結果的に、その前に全員が救われて映画は終わる。

 唯一、愛人の次は不倫という、どこまでも都合のいい女気質のゲンズブールだけは切ない結末になると思われたけども、彼女にもまた、やり直すチャンスが与えられる。

 びっくりするような展開は一切ないけども、良質な暖かい映画。

 「しばらく居てくれていいわ。この世に私たちだけしかいないと思い始めていたところだから。」閉鎖的な田舎町に突然来訪したオマーに、アダムの妻・キャロラインがいったセリフ。もうこの先、大きく変わることがないかも知れない。薄々そう思いながら過ごしていた彼らの中に、異分子であるオマーが入ることで、完全に固定化していた状況に一石を投じる結果となり、それぞれが「次の人生」に向けて歩を進めるきっかけになる

 といっても、オマーがなにかをすごく頑張って彼らを救ったというわけではない。彼はただ、登場人物のひとりとして、彼らの「世界」に入っただけ。

 すべてにおいて、必要なのは「ちょっとしたこと」。

  アンソニー・ホプキンスは、妻と愛人とゲイの愛人と同時に同棲しているという、普通に考えたらおかしい暮らしをしているのですが、その理由を深く語るシーンはない。彼が誰かに言ったセリフ。

「みんな、本を読まずに、本の批評ばかりを読んでいる。」

 つまり「事情もわからない奴が、俺の生き方をとやかく言う権利はない。」ということだ。良く知りもせずに他人を批判してはいけない。人にはそれぞれの人生がある、ということ。

 そういえば、映画は2009年製作なんだけど、携帯やスマホは一切出てこない。田舎町の、昔ながらの村社会の中で、余計な情報は一切入ってこない中で、しっかりと自分たちの幸せを考えながら生きている人たち。それが、本来の人間の生きる姿なのでしょう。

 一点「最終目的地」という題名だけは違和感がある。きっと生きている限り、すべての意味で「最終」なんてことはないから。