【映画で語ろう】カムシネマ★3分で語れるようになるポイント【ネタバレあらすじ】

映画を観たなら語りたい。酒でも飲みつつ語りたい。3分で「語りポイント」がわかる映画ネタバレあらすじ集。

3分で映画『レスラー』を語れるようになるネタバレあらすじ

基本データ・おススメ度

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『レスラー』
原題:The Wrestler

2008年 アメリカ
監督:ダーレン・アロノフスキー
出演:ミッキー・ローク、マリサ・トメイ、エヴァン・レイチェル・ウッド
 おススメ度★★★★★(5/5)
 どうしようもない男のどうしようもない話。しかし傑作中の傑作。。もはや説明不要でしょうが、未見の方がいるならこれは観ておいたほうがいいです。知性ゼロ感が、ダメな人にはまったくダメでしょうが。「ロッキー」よりはるかにリアルなイキザマ映画。

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あらすじ(ネタバレなし)

 冒頭、往年の名レスラー、ラムことランディ(ミッキー・ローク)の80年代の輝かしい活躍を報じた新聞記事や実況が流れる。

 20年後…静かな控室で椅子に座っている現在のランディ。プリモーターから幾ばくかのファイトマネーを受け取る。
 
 マニアのファンからはいまだにサインを求められるスターではあるが、住居であるトレーラーハウスに戻ると大家に家賃の催促をされる。鎮痛剤を缶ビールで流し込む。

 控え室で対戦カードの発表。レスラーたちはその日の対戦相手とうちあわせをし、どうやって客を興奮させるかを考える。ラムはテーピングの中にカミソリの刃を仕込み、本番中に自分で流血を演出、最後はトップロープからの得意の「ラム・ジャム」で若手を一蹴した。
 プロモーターは、20年前の名勝負「ラム対アヤットラー」の再戦を持ち掛ける。アヤットラーは引退して中古車販売業をしているが、この話なら乗ってくるだろうという。

 ランディはいきつけのストリップ・バーに行く。以前からお気に入りのストリッパー・キャシディ(マリサ・トメイ)に会うためだ。

ネタバレあらすじ

 キャシディは他の客に指名されていたが、強引に男たちを追い払う。プロレスを「やらせでしょ?」というキャシディに、ランディは昔の傷を見せる。キャシディは傷を見て「傷をもって人々を癒す」キリストを描いた映画「パッション」と同じね、と言う。

 ランディは、痛み止めの薬や、日焼けマシンで焼いた肌で「ラム」を作りあげる。対戦相手と一緒に金物屋に行って一緒に試合で使う凶器を選ぶ。客が喜ぶデスマッチもやる。ハシゴやステーブル(ホッチキス)ら凶器が乱舞する。血だらけで控室に戻ると、仲間のレスラーからリスペクトの拍手が起こる。

 しかし、アスリートとしては限界の年齢。ラムは、試合後の控室で倒れ意識不明になり、病院で心臓のバイパス手術を受ける。命はとりとめたが、医者から「もうプロレスは無理」と宣告される。

 退院し、店にキャシディに会いに行く。「話がある」と誘うが、キャシディは「客と外には出ない」と断る。しかし「心臓の手術をした」と言うと、タバコを一服するフリをして外に出てくる。
 車の中で、ランディは「独りは辛いんだ。君といたい」と告るが、キャシディは首をふり「家族が大事よ。娘さんに会いにいけば」というアドバイスだけ残し店に戻っていく。

 ランディは娘に親子の縁を切られていた。

 キャシディのアドバイス通り、娘が住む家を訪ねるが、娘のステファニーは冷たい態度。「私を頼る気ね。私が頼りたいとき、どこにいた?いつもいなかったじゃない。心臓が悪くても知らないわ。」と去っていく。

 往年のレスラーがそろったサイン会に行く。サイン会といっても場所は寂しい体育館。数人のファンに対応するランディだが、周りを見渡すと、他の元レスラーたちは車椅子に乗っていたり。片足を引きづっていたり、その哀しい光景に気分が落ち込む。

 店でキャシディに娘の件を報告する。「服をプレゼントすれば」というアドバイス。少し考えたキャシディは「一緒に行って選ぶのを手伝ってあげる。」と言う。

 バイト先のスーパーで勤務時間のアップを頼むランディ。空いてる仕事は店に出て接客するしかないといわれ、渋々引き受けることにする。

 土曜日、キャシディと待ち合わせる。店外で初めて会うキャシディは化粧ッ気のない私服。ビールでもと誘うと、キャシディは「帰らなきゃ。実は9歳の子供がいるの」と打ち明ける。するとランディは、自分のフィギアを持ってきて「息子さんにあげて」と言う。ウケたキャシディは「一本だけ」とビールにつきあうことに。

 昼間のショットバー。ビールを飲みながら、店で偶然かかった80年代のハードロックに「これ、最高だ」と踊りだすランディ。40歳を過ぎているキャシディも「80年代最高、90年代はダメ。」と盛り上がる。その勢いでキスをする二人だが、キャシディはすぐに思い直し「お客と接触はしない。」と、約束の一本のビールを一気に飲み干し、去っていった。

 スーパーで接客をするランディ。引退を決意し、決まっている試合を次々とキャンセルしていく。

 娘・ステファニーにプレゼントを渡しに行く。少し機嫌を直したステファニーは海辺への散歩につきあう。ランディは「聞いてくれ。俺は全然ダメな父親だった。お前を置き去りにした。自業自得だ。でも、お前に嫌われたくない。」と涙を流す。
 娘は父親の腕に抱きつき、一緒に帰る。次の土曜日に食事をする約束をする。仲直り。

 キャシディにお礼を言いに店に行く。しかしキャシディは冷たい。「俺の勘違いか」と言うランディに「私は母親。この前の(キス)は過ち」と言い切る。「それでもいい」というランディに「私は嫌」と拒絶する。キレたランディはキャシディにカネを渡し「踊れ。俺は客だ。ケツ出して踊れ」と悪態をつき、キャシディに「最低」と言われる。
 ウサ晴らしに若手レスラーたちと飲みにいったランディは、クスリをやり、酔っぱらって店のホステスとトイレでヤる。

 翌日、見知らぬ女の部屋で目覚めたランディはトレーラーハウスに戻り、再び寝落ちする。時間経過、娘と食事の約束をした時間をすっかり過ぎていることに気づくランディ。

 ステファニーの家に行くが、2時間も待たされてすっぱかされた娘は泣いていて「昔と同じ。言い訳ばかり。最低。あんたのために泣くのはもう二度と嫌!」と暴れる。嫌わないでくれというランディに「憎しみも愛しもしない。どうせ変わらないんだから。もう永久におしまい」と最後通告。

 スーパーの接客。客のひとりがラムであることに気づく。こんなところで働いていることを知られたくないランディはキレて暴れ、店をぐちゃぐちゃにして出ていく。

 すべてを失くしたランディは、引退を撤回しプロモーターに電話。「ギャラ?そんなもんいい。とにかく出たい。」とアヤットラーとの再戦を受諾する。

 キャシディがトレーラーハウスに来た。先日のことを謝りに来たのだ。「ひどい言い方をしてごめん。あなたは特別な人。でも、やっぱりお客とは一線を越えられない。」というキャシディに、ランディは「もういい。試合をやる。身に来い。」と、試合のチラシを渡す。ランディのカラダの状態を知っているキャシディは驚く。

 店で踊っていたキャシディだが、思い立ち、服を着て車を走らせた。ランディの試合会場へ向かう。

 入場を待つランディの前に現れたキャシディ。「なにしてる」と聞くランディに「あなたこそ、なにしてるの?心臓は!?」と言うキャシディ。「俺にとって痛いのは外の現実のほうだ。」「もう誰もいない」というと、キャシディは「私がいる。」「やめて、ランディ」と止める。」しかし、ランディは客の歓声に呼ばれ「あそこが俺の居場所だ」と言うとリングに向かった。

 入場したラムはマイクを持ち「多くの人にもう無理だと言われた。生き急いでいたツケは払う。人生、大切なものをすべて失くすこともある。でも俺はここに立ってる。俺にやめろという資格があるのは、ファンだけだ。」と叫ぶ。
 試合がはじまる。間もなく、キャシディは去っていく。

 試合の途中で様子がおかしくなるラム。対戦相手もレフリーも心配になり「早く、俺をフォールしろ。もう充分だ、終わらせろ。」と言うが。ラムはその言葉を無視する。
 キャシディがもういないことを確認したラムは、寂しそうに笑った後、心臓を抑えながらトップロープに登る。
 
 得意技「ラム・ジャム」を放った瞬間…映画は幕となる。

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つまりこういう映画(語りポイント)

 散々、語り尽くされている映画です。いまさら特に目新しい解釈はないですが…。

 公開当時「もしや『ロッキー』のような有り得ないサクセスストーリーだったらシラケるな。」と心配しつつ映画館に足を運びましたが、そんな心配も杞憂に終わる傑作。

 この映画のなにより良い点は「最後まで何も変わらないところ」。

 最後の試合も都会の大会場ではなく田舎の小さな会場だし、主人公・ラムはどうしようもないダメ男ですが、劇中で一切成長せず、どうしようもないエピソードが続く。そして最後までどうしようもない。そこが良い。

 人間、そうそう変われないのです。いや、変わらないのです。

 変わらないことが悪いことだという事でもなく、むしろ「変わらない強さ」は確実にある。例え、変わらないのではなく変われないのであっても同じこと。「継続は力なり」の格言通り、長い間ひとつのことを続けることの価値や意味は間違いなくある。

 しかし、ランディがあまりにもどうしようもなさすぎて、誰も救えない。彼の心の傷を理解できないのではなく、どうしようもない男に誰もついていけない。

 唯一、最後になって彼に寄り添おうとしたのは、やはり同じ類の孤独と戦ってきた、ストリッパー、キャシディだけという設定が、リアルさを際立たせる。そのキャシディさえ、本当に彼のことを好きかというとそうでもなく、命を捨てようとしているランディに対する心配と哀れみに近い。

 最後の試合がはじまると、あきらめたようにすぐにその場を去ったキャシディと、キャシディが試合を見ていないことを確認して寂しそうに笑うラストシーンのラムの表情。この辺、リアルすぎてビビる。

 いや、普通の映画ならヒロインはあそこで最後まで見届けるでしょうよ。そして、試合後にリングにあがって抱き合うのでしょうよ。でも、この映画では、そんな「ロッキー」みたいなことは一切しないのです。その潔いセンスが僕は大好物です。

 そして、一度は家族との生活を取り戻そうと引退を決意しながら、すべてを失くし「俺の居場所はここだけ」とリングに復帰するところも、迷い、紆余曲折、覚悟…、人生につきもののアイテムがてんこ盛りっぽくて良い。

 ラム(ランディ)と子持ちのストリッパー・キャシディ、共に裸一貫で明日なき生活を送る二人の孤独に、ラムの娘・ステファニーの心の孤独が交差してくる。主要登場人物はこの3人だけ。3人共、それぞれの孤独と闘っている。

 たった3人のメインキャストで飽きさせないのは、ドキュメントフィルム風の手持ち撮影や、ラムなめ(人物の肩・後頭部ごしに主観を見せる)を多用したカメラワークの勝利でしょう。不安定な手持ち撮影は、終始落ち着かないラムのキャラクターを一段と際立たせる効果があるし、カメラがラムの後ろをついていく演出は感情移入しやすい。

 老いとの戦い。孤独との戦い。「生きるべき場所」を降りた時の現実との戦い。虚像として存在する過去の自分自身との戦い。

 レスラーと俳優は「虚像を売る」という意味では非常に似た職業で、仕事を前にして、美容院で髪型を作ったり日焼けサロンで精悍さを捏造したり…って、僕も20代の頃はまったく同じことしてたので、当時、映画館で笑ってしまいました。

 同じ格闘技モノでも、真剣勝負のボクシング等ではなく、ショービジネスのプロレスが題材だからこそ、響いてくる部分がある。

 ラムは娘への言葉の中で「すべては自業自得」と自戒する。自戒しながらも、まったく更生することなく、同じ過ちを繰り返すところが、本当にどうしようもないのだけど。

 ただ、人間って、大抵はどうしようもないもの。どこかにどうしようもなくない人がいるなら教えてください。

 この映画は「生きる場所」と「死ぬべき場所」…が同意語であることを教えてくれる。

 「この映画好き」と言うのがちょっと恥ずかしい系の、ストレートすぎる映画ではあるけど、泣いたなら素直に泣いたと言っていいんだよ。 

 とても当時42歳とは思えないマリサ・トメイがいい。

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