【映画で語ろう】カムシネマ★3分で語れるようになるポイント【ネタバレあらすじ】

映画を観たなら語りたい。酒でも飲みつつ語りたい。3分で「語りポイント」がわかる映画ネタバレあらすじ集。

3分で映画『赤いアモーレ』を語れるようになるネタバレあらすじ

基本データ・おススメ度

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『赤いアモーレ』
原題:NON TI MUOVERE
2004年 イタリア
原作:マルガレート・マッツァンティーニ 「DON'T MOVE」
脚本・監督:セルジオ・カステリット
出演:ペネロペ・クルス、セルジオ・カステリット、クラウディア・ジェリーニ、アンジェラ・フィノチアーノ
 おススメ度★★☆☆☆(2/5)
 ただ面白くない映画なら語ることは何もないのですが…。酷すぎて、最悪すぎて語りがいがあります。自分勝手な中年男が不倫の愛人に溺れていくお話。不倫云々の設定がヒドイのではなく、映画作った人の自己中がヒドい。それでいて妙に見応えがある不思議な映画でもあります。
 すいません、のちほど思い切りdisらせていただきますが。

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あらすじ(ネタバレなし)

 交通事故の現場。バイク事故で病院に搬送されたのは外科医ティモーテオの15歳の娘アンジェラだった。頭部から血が流れ危険な状態。ティモーテオは娘の施術を他の外科医に任し、廊下で呆然とする。

 病院の外にある渡り廊下に、雨の中で椅子に座っている女(イタリア)の幻影を見る。

 15年前。

 外科医として成功し美人の妻もいる。不自由ない生活を送るティモーテオだが、幼い頃の家庭環境は荒んでいた。

 精神的に屈折しているティモ。車の故障で電話を借りようと偶然立ち寄ったバラック小屋。そこにいた貧乏な女イタリア(ペネロペ・クルス)をいきなりレイプする。

 後日、謝りに行き、またレイプする。今度はテーブルの上におカネを置いて帰った。

 俗福で幸せな家庭や仕事に恵まれながら、心が満たされない中年男が、将来への希望などとっくに捨てている女イタリアと出会い、愛人関係にはまっていくお話。

ネタバレあらすじ

 何度もイタリアの家に通うようになるティモ。またおカネを置いていく。
おカネを置いていくことで、割り切った関係だと思い込もうとしたのか。

 「子供を作ろう」というティモに妻は「子供はいらない。子育ての自信がない。」と言う。妻との関係が決して覚めているわけではないが、すでに何年も連れ添った夫婦、特に新しい感動もない淡々とした日々が続いている。
 妻は元々お金持ちのお嬢さんで、妻の両親との食事会はティモにとっては退屈でしかなく、妻の母がかわいがっている子犬をテーブルの下で蹴り倒す。

 妻との今の生活に生き甲斐を感じなくなっているティモは、どんどんイタリアにはまっていく。

 そんな中、妻のエルサは、珍しく強引に夫を誘惑する。スイッチが入ったティモは、妻を思い切り荒っぽく扱うと後ろから激しくヤる。終わった後、どこか意味ありげに笑う妻の表情。

 やがてイタリアが妊娠する。中絶はさせない、子供が欲しいというティモ。ティモはなにかしらの決意を持って帰宅するが、なんと同時に妻も妊娠していた。

 周囲はお祝いムードとなり、後に引けないティモはイタリアとの関係をどうすることもできなくなっていく。 

 イタリアが病院にやってくる。「最近どうして連絡をくれないの」というイタリアに「妻の具合が悪いんだ。原因はわからない。」と嘘をつくが「医者がわからないはずないわ。」と、見透かしたように去っていく。

 ティモがイタリアの家に行くと、 自暴自棄になったイタリアが陽気に踊っていた。「なにをしている。カラダに良くない」というティモだが「大丈夫、もう堕ろしたから」というイタリア。堕胎は友達の女性が行ったという。そこで、以前に話した男の話が実の父親であること、つまり、父親に性的虐待を受けていた過去を明かし、ヤケクソ気味にその場に倒れる。

 ティモがお腹の大きくなった妻と帰宅しようとした雨の夜。通りの向こうにイタリアがいるのが見えた。「先に帰っていてくれ」というティモに、妻は、あきらかになにかを察したような不安な表情を見せる。
 妻をタクシーで先に帰したティモは、雨の中でイタリアを探し、路地裏で愛し合う。
 
 イタリアは田舎へ帰ることにした。ティモを振り切るように走っていく。

 妻のエルサが出産。アンジェラが産まれた。しかしティモはイタリアの家へ行き、君がなにより大事だと告げ、泣く。

 ティモは車でイタリアを実家まで送っていくことにした。ホテルに泊まり、レストランの席で「ティモを一生愛すると誓うか」と聞く。結婚式の真似事に、嬉しそうな顔をするイタリア。
 が、イタリアの具合が悪くなる。ホテルの部屋で卒倒し病院に運ばれる。

 設備の整っていない田舎の病院で、ティモは「俺は医者だ」と名乗り、自らイタリアの手術をする。一旦は回復したイタリアだったが、やはり助からなかった。ティモは棺桶に入れ損ねた赤いシューズを手に泣きじゃくる。

 15年後に戻る。
 
 あれから、イタリアのことが忘れられないティモは、妻や娘をどこかでおろそかにしつつ生きてきた。娘のアンジェラが危険な状態となり、あらためて大切な存在であることに気付いたティモは、天に祈る。

 アンジェラの手術は奇跡的に成功した。同時に、渡り廊下のイタリアの幻影は消えた。「イタリアが助けてくれた」と悟ったティモは、ロッカーから古ぼけた赤いシューズを持ち出し、イタリアが座っていた場所に置いた。

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つまりこういう映画(語りポイント)

 「自分勝手な欲望やエゴ」を「激情=愛」と勘違いして、過去の過ちや自分の愚かさを「美化」しちゃってる映画。いや、劇中の登場人物たちはそれで良いのです。そういう題材の映画だから。でも、脚本や監督やプロデューサーが、自信満々にそう勘違いしているのはマズイ。

 不倫や浮気はゲスだからダメとか、道徳的な意味で「ひどい」と言いたいのではなく、作った人の偏った価値観を思い切り押し付けられるから、感じが悪いのです。

 個人的に、破滅型の人間を描いた作品は大好物です。むしろバッドエンド・フェチです。通常「登場人物が死んでしまう」ことや「哀しい結末を迎える」ことをバッドエンドと呼び「後味が悪い」などと言われがちです。

 でも!この映画のラストシーンこそが、(僕にとっては)とてつもなく後味が悪く、めちゃくちゃ気持ち悪い。作った側はハートウォーミングな良いシーンだと信じていて「やってやった感」満載でドヤ顔をしてそう。そこが本当に気持ち悪い。

 ラストシーンを整理します。

・昔、自分の身勝手な欲望とエゴで不倫して、女を死なせてしまった。
・自分の娘が事故にあって危篤。生存は絶望的。
・天に祈る。
・手術が成功して、娘は奇跡的に命をとりとめる。
・昔、死なせた女が天国から見守ってくれていたと勝手に思う。
・そうだ、彼女が娘を救ってくれたんだ、ありがとう。と勝手に思う。
・彼女の履いていた赤いシューズを路上に置いて満足気に笑う。
・その間、奥さんは割とほったらかし。
 
 バリバリ自己中心的な思考、自己正当化、自意識過剰のナルシズムから生まれる奇妙なハッピーエンド。これを気持ち悪いと言わずして、なにが気持ち悪いのでしょう。

 天国で、イタリア(昔、死んだ女性)も呆れてそうです。

 夫がそんな意味不明の感慨にふけっている間も、妻は、まだ意識が完全には戻っていない娘のベッド脇に寄り添い「私も明日髪を切るわ。そして、あなたの髪が伸びてきたら、二人でショートカットが似合う帽子を被るの。」と語りかけています。このセリフは良い。あくまで現実的に前を向く妻。

 かたや現実をほったらかして妄想にひたる男。

 いえ、このラストシーンで「良い映画だった」「感動した」という人はたくさんいると思います。それはそれで否定できません。個々の感性なので。

 確かに、俳優の演技は素晴らしい。瞬間の感情の作りに嘘がなく圧巻。それによって、妙に見応えがある映画になっている。この映画が母国で賞をとったり評価が高いのもわかります。ただ、脚本・監督・主演が同じ人(セルジオ・カステリット)で、原作はその奥さんだとか(ベストセラー小説らしいですが)。そんなワンマン映画だと聞いて妙に納得です。イエスマンしかいない独裁者状態でモノを作るのは、やはり危険ということ。

 と、ボロクソに書いてしまいましたが、是でも非でも、これだけ書きたくなるだけで、つまりは観る価値があるのだと、観て良かったのだと思います。

 「可もなく不可もなく、語る気にもならない映画」も星の数ほどあるわけですから。