【映画で語ろう】カムシネマ★3分で語れるようになるポイント【ネタバレあらすじ】

映画を観たなら語りたい。酒でも飲みつつ語りたい。3分で「語りポイント」がわかる映画ネタバレあらすじ集。

3分で映画『ダンス・ウィズ・ア・ストレンジャー』を語れるようになるネタバレあらすじ

基本データ・おススメ度

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『ダンス・ウィズ・ア・ストレンジャー』
原題:Dance with a Stranger
1985年 イギリス
監督:マイク・ニューウェル
出演:ミランダ・リチャードソン、ルパート・エヴェレット、イアン・ホルム、ジョアンヌ・ウォーリー
 おススメ度★★☆☆☆(2/5)
 1955年、イギリスで絞首刑となった最後の女性、ルース・エリスの実話。「どうにもできない」彼女が「そうするしかない」に至るまでの葛藤を描いている。決して面白い映画ではないのでおススメ度は低いですが、50年代当時の(主に女性にとって)生き方の選択肢が少ない社会での悲劇を、多様な選択肢の中で生きる現代の僕らがどう捉えるべきなのか?…考える糧にはなる。

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あらすじ(ネタバレなし)

 1954年春。ルース・エリス(ミランダ・リチャードソン)は離婚歴あり子持ちのホステス。クラブのマネージャー。

 ルースのパトロンであるデズモンドが、若いレーサー、デイビットを連れてきている。ディビットはルースを見て「淫売だろ」とさげすみながらも、その後、店でルースに声をかける。

 デズモントは若いルースに惚れていて、金銭面でも多大な面倒をみていたが、ルースはお金だけが目当てだった。

 ディビットは親の遺産を継いで好き勝手に暮らしているだけのダメ男だが、その端正な顔立ちに惹かれたルース。

 その夜、すぐにベッドインする二人。「デズモンドともここでやるのか?」と聞くディビットにルースは「ううん、そういえばこの街でヤってないのはデズモンドだけね。」と笑う。

 レース観戦に行く。ルースはすっかりディビットの彼女気取りだったが、そこにディビットの婚約者が現れ、嫉妬する。

 ルースの家に現れるディビットだが、ルースは思い直したのか「ママのところへ帰りな。」と冷たくあしらうが、ディビットの押しに負けて、微妙に関係を続ける。

ネタバレあらすじ

 デズモンドと共に、海に遊びに来ているルース。息子のアンディも一緒だ。デズモンドは息子の学費を出すと約束している。約束を確認して喜ぶルース。三人で映画を観るが、レースを題材にした映画で、ディビットを思い出したのか席を立つルース。

 デスモンドとパーティにでかけるルース。デズモンドはシャイなのか考えがあるのか、ルースのカラダを求めない。
 パーティにはディビットも来ていた。ディビットと踊るルースを見て複雑な表情のデズモンド。

 ルースが自宅に戻ると、ディビットが勝手に部屋に入り込んでいた。ルースは怒って「婚約者は?」と聞くが「別れた」と言うディビット。
 ディビットは「ここに住みたい」と押すが、ルースは「親に頼らずがんばってみれば?私には関係ない。」と断る。
 それでもあきらめないディビット。ついに根負けするルース。

 ルースは、ディビットの実家に連れられてきた。豪邸だ。幼いころから貧乏だったルースは、あまりの豪邸ぶりにビビって「ロンドンへ帰る。」と言う。

 デズモンドの支援で良い学校に入ることになった息子のアンディ。三人で入学式の準備をしているところにディビットが現れる。密かに対抗心を燃やす男二人。

 ルースの店。ディビットが現れ店内で荒れる。怒ったルースの顔にドリンクをぶっかけるディビット。デズモンドは激怒するが、ルースの微妙な表情を心配気に見守るしかできない。
 店の階段に座り込んだディビットは「酔ってたんだ。お前を好きになった男はみんなこうなる。」と、そこでも口説き文句を言う。
 
 そのせいで店をクビになったルースは自宅で荒れ、デズモンドと新しい部屋で一緒に暮らすことにする。

 ルースをストーカー気味につけまわすディビット。逃げるルースだが「ホテルへ行こう。君といたい」とあくまで口説く。

 ホテルに入った二人、愛し合う。

 デズモンド、アンディとの家族のような生活は続いているが、同時に、ディビットとも恋人のようにふるまうルース。

 自宅に戻ったルースに「ディビットと会ってたのか?」と聞くデズモンド。「時々会ってたのか?」「そう」「寝たのか?」「そう。」すべて正直に答えるルース。ルースは「あなたには感謝してる。同居は間違っていた」という。デズモンドは部屋にルースを残し、自分が出ていくことにした。

 ディビットとの恋人関係は続きルースは妊娠した。妊娠を告げ「中絶しようか?」とい言うルースにディビットは暗い表情。
 
 ディビットは両親にルースのことを認めてもらおうと、彼女を好きなこと、彼女が妊娠したことを報告しにいくが、両親は「妊娠で脅すなんて古いテだ。」「あんな女と一緒になったら最悪だぞ。」と反対する。
 親に反対されたからか、ルースを避けていたディビット。酒場で彼をみつけたルースは、公衆の前でディビットをなじる。外にでたディビットはルースを殴る。怒ったデズモンドがルースを連れて帰る。

 お互いにネガティブな感情が芽生えてしまった二人は、街で顔をあわせても喧嘩をする。しかし、好きな気持ちは消えておらず路地で抱き合う。

 自宅に戻ってデズモンドに言い訳をするルースだが「君がディビットが出るレース場にいったことは知っている」と嘘を見破る。
 ルースを廊下に連れ出し「あの男は最低だぞ。」と初めてディビットのことをなじる。「あの男のことを好きなお前はもう見たくない。また殴られたのか?」と哀しそうな顔をする。

 ルースは流産した。

 朝、ディビットが訪ねてくる。招き入れるルース。流産のことは隠した。ディビットはル・マン出場が決まったことを報告し「一緒にフランスへ行こう」と言う。家族の同意が得られそうなことも。

 しかし、後日、デートの約束をした時間にディビットが現れない。「ふられたんだ」というデズモンド。デズモンドに送らせディビットの家へ行くが、誰もいない。家の前で荒れるルース。

 ルースはディビットの家を密かに監視するようになった。仲間と騒ぐディビットを見かける。心配して「帰ろう」と言うデズモンドだが、ルースはもはや聞く耳を持たない。「女と一緒だった。あの若い女と!」と叫ぶ。どう見ても、普通ではなくなっているルース。

 自宅でも酒ばかり飲んでいるルースに「いい加減にしろ」とキレるデズモンド。「自制心をなくしたら奴以上にゲスだぞ」と忠告する。
 冷静に戻ったように見えるルースに、デズモンドは一旦は安心するが…。

 ルースはまだデイビットの監視をやめなかった。ディビットが遊んでいるバーを外から監視していたルースは、タクシーに乗ろうとしたディビットを待ち伏せし、銃殺してしまう。運転手に「警察を呼んで」と告げるルース。

 ルースが書いた、ディビット母への手紙。
「私は彼を愛していた。これからも愛している。」

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つまりこういう映画(語りポイント)

 1950年代。女性の権利向上、社会進出、いわゆるフェミニズム運動はもちろん行われていたが、実質、まだまだ女性の生き方の選択肢は少なかった。

 ルース・エリスは、貧乏な生まれから14歳で退学しウエイトレスとして働いた。17歳の時に既婚男性の子を妊娠、出産。息子・クレアを産んだ。ルースはヌードモデルからホステスになり、売春もした。やがて、夜の世界で成功するが、金持ちの最低男に惚れこみ、彼を射殺して死刑判決を受ける。
(参考:wikipedia 「ルース・エリス」)

 ルースが生活のために退学してウエイトレスとして働いたことも、マリリン・モンローに似せた金髪で夜の世界に生きたことも、当時の彼女にとっては「そうするほかに、どうしようもない」選択だったのでしょうし、惚れた男を「永遠に自分だけのものにしたい」想いから射殺。それは「もう、そうするなかった。」選択(彼女にとっては)。

 普通に考えると、それらの状況は、ただただ「哀れ」「かわいそう」「バカだなぁ」という感想になる。自分を助けてくれるデズモンドという優しい男と幸せに暮らせばいいものを、色男に溺れ身を滅ぼしたわけだから。

 しかし、見方によっては、選択肢の少ない時代に、与えられた範囲の中で迷走はしながらも、大きな部分、「男に依存するしかない」という状況に選択の余地はなかった彼女には、ある意味では迷いがなかったはずだ。

 選択肢がない。それは、考えようによっては幸せなことなのではないか。

 現代、生きかたの選択肢は多種多様になり、必ずしも男性に依存せずとも女性が自力で生きていける状況はある。それはきっと素晴らしいこと。素晴らしいことなのだけど…。「なにが幸せか」「なにが人を苦しめるのか」を考えたときに、自由な選択肢が必ず人を幸せにするかと云うと、そうとも言い切れない。

 選択をすることよりどうなるかと云うと、自動的に「今を選択しなかった場合の自分」「違う道を選択した場合の自分」についての想い(想像)が芽生える。人はそこで苦しむ。現実は仮定の想像には到底かなわない。そこで「そんな想定など存在しない。なぜなら自分の人生はひとつだから」という真理を理解していればいいのだけど、なかなかそうはいかない。選択の結果、強い「後悔」に苛まれ苦しむことになる。

 ルースは獄中から彼の両親に手紙を書いた。「信じて欲しい。私は彼を愛していた。今も愛している。愛しながら、絞首台にあがる。」

 彼女の中に、後悔の念はなかった。

 彼女の行動で、周りの人間は不幸になった。史実でも、家族や関係者の末路は悲惨なものだったらしい。それが現実。つまり、彼女の生き方は間違っていたということだ。そこに異論はない。

 ただ、しかし、現代の僕らが、今までもこれからも、否応なしに「選択」を繰り返して生きていかねばならない僕らが、彼女の生き方から学ぶべきは…

  選択肢に惑わされちゃいけない、ということ。なにかを選択しない限り、答えは出ない。たとえそれが間違っていたとしても。

 結果を受け入れる覚悟さえあれば。そして、それが、その選択の結果が唯一の真実であることを理解さえいていれば。

 「迷いなく生きる」とは、きっとそんな行動の先にある。 

 

▼同じく、女性死刑囚のお話なら、これがありますね。

cinema.kamuin.com