【映画で語ろう】カムシネマ★3分で語れるようになるポイント【ネタバレあらすじ】

映画を観たなら語りたい。酒でも飲みつつ語りたい。3分で「語りポイント」がわかる映画ネタバレあらすじ集。

3分で映画『ドルチェ 甘い被写体』を語れるようになるネタバレあらすじ

基本データ・おススメ度

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『ドルチェ 甘い被写体』
原題:BROKEN SIDE OF TIME
2013年 アメリカ
監督:ゴーマン・ビチャード
出演:リン・マンチネッリ、オードリア・エアーズ、オリヴィア・ウィーラン、ジェシカ・マゾ
   おススメ度★★☆☆☆(2/5)
 一般的には「退屈で面白くない映画」という評価になりそう。ただ、説明セリフを省きながら、必要な情報は小道具や仕草でしっかり伝える。「なるほど」と感心するメタファー等、言葉ではない映画言語のセンスが良く、総じて「映画」としてのクオリティは高い。好き嫌いにもよりますが。

   ヌードモデルの悲哀、カメラマンたちの心情、人生の光と陰、日常と非日常…。原題「壊れたほうの時間」は内容に合致していて好感が持てます。もちろんエッチ度ハイ。

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あらすじ(ネタバレなし)

 冒頭、散らかった部屋、半裸でグータラに過ごしているのは・ヌードモデルのドルチェ。一般的に有名人ではないが、マニアや同業の間では一目置かれる伝説のモデルだった。18歳でデビューし現在は30歳。彼女はモデル引退を決めていた。

 疲れた顔でタバコを吸い、ライターの火をもてあそぶ。やがて、ベッドで自慰を始める。ドルチェは、旧友のカメラマンに電話をかけ「この街を出ることにした。最後に会いたい」と誘い、ホテルの部屋でヌード撮影をする。

 次に電話したのは、ネットでみつけた「ヌードモデル募集」の告知。部屋で黒人の男性に写真を撮られ、最後にエッチをする。

 彼女は、街を出て実家に帰るまでの道中、モーテルに泊まりつつ、過去に仕事をしたカメラマンに連絡を取ったり、ネットの掲示板に応募したり、さらには自撮りも交えた、モデルとしての自分の最後の姿を刻んだ「写真集」を作ろうとしていた。

ネタバレあらすじ

 次々にネット告知に応募しては、いくばくかのギャラを受け取りながら、プロや素人、さまざまなカメラマンと会い、ヌードを撮らせていく。
 自らも一眼レフを持ち、ノリノリのポーズで自撮りも繰り返す。また、泊ったモーテルの看板や風景も常に写真に収めていく。

 誰かに、全身サイケなペイントをされるドルチェ。マスターベーション目的のヌードではなく、芸術的なヌードを求めるカメラマンもいるということ。

 あるカメラマンの元で、20代らしき若いモデルと出会う。彼女はドルチェに憧れているといい、二人で部屋に行って、自分の写真を撮って欲しいと頼んできた。押しの強さに負けて承諾するドルチェ。
 部屋の中、ドルチェにいろいろ語る若いモデル。彼女いわく「(カメラマンの)オタクたちは可哀想。女の人と縁がなく、ヌードモデルの裸を写真に撮って自慰ネタにする。でも、私は終わるとやらせてあげる。救いの天使になった気分。本物の女を抱けるは私と写真を撮る時だけ。それで2時間600ドル。時には髪を洗うシーンを撮るだけで400ドル払う。あいつらおかしい。でも私も嬉しい。なぜなら、彼らは私をイカせてくれる。」朝まで一緒に過ごした二人。朝、ベッドから出てきた若いモデルは、ドルチェの股間に顔を埋める。

 再び、モーテルを点々とした旅に出るドルチェ。

 時には、ビデオカメラをまわしたインタビュー撮影もある。彼女はスターだった。しかし、インタビュアーの何気ない「脚がキレイだ。本当の彼氏がその脚に射●したことは?」という質問に言葉が詰まるドルチェ。答えられず、撮影は打ち切られた。

 酒場で会った男とトイレで薬をしながらヤる。朝起きてトイレで吐いた。「もうやだ もうたくさん」と言いながら、いつも持ち歩いていた酒のボトルを捨てる。疲れ切った顔でシャワーを浴びる。

 しっかりメイクをして、綺麗なスタジオで撮影。さきほどの疲れ切った顔とは別人のような、光輝いたドルチェがそこにいる。

 あるカメラマンは、撮影の合間に言う。「なぜ女の裸を撮るかって?それ以外に幸せになる術を思いつかなかったんだ。でもそれでいい。好きなことを、自分ができることをやって生きていく。」

 田舎のカメラ屋さん。女主人はクラシックなカメラを自作している。箱にレンズを押し込んだだけのような、シャッタースピードの遅いカメラで、公園でドルチェを撮る。ドルチェもまた嬉しそうにカメラの話を聞く。

 ある男の自宅のキッチン。撮影中に妻が帰ってきた。「どうして台所に裸の女がいるの?」「旦那は会計士よ。会計士にどうしてヌード写真が必要なの?」と、極めて常識的な罵倒。ドルチェが冷静に「それが彼の趣味。私は仕事で来た。」ことを伝えると、妻もそれ以上は怒らず「ギャラは私が払う」と小切手を切る。

 車中、いつものzippo風ライターで小切手を燃やそうとするが火がつかない。イライラしたドルチェは車を走らせる。

 地元近くの街。18歳のドルチェの裸を撮ったカメラマンの元を訪ねると、そこには若いモデルがいる。最初は、懐かしい仲間と食事でもと考えていたドルチェだが、彼と若いモデルとの関係にきづいたドルチェは、意味ありげに彼を見ると「じゃあね」とその場を去る。
 気晴らしにライブハウスに行くドルチェ。ナンパしてくる男に冷たく接し、お酒を頼まずジュースにする。男は捨て台詞を吐いて去っていく。

 ステージの上では若い女性歌手がバラードを歌っていた。その歌を気に入ったドルチェはひとりで大きな拍手をする。ステージが終わり、歌手がドルへの元へ来る。「拍手をしてくれる人は多くないからさ。」

 二人でバーで飲み、その後、ドルチェの泊るモーテルの部屋へ。室内で、撮りためた写真をみせるドルチェ、感心する歌手の女の子。「なぜモデルをやめるの?」と聞かれ「副作用が多い。クスリ、セックス、家族から縁を切られたり、カメラマンからはいつも同じものを求められる。だから自分の好きなように髪も切れない。そして私は歳をとった。」
 「あなたは美しい」という歌手に「ありがとう。でも18の娘と戦う気はもうない。」と言う。その気になったように歌手のコの手を握り「泊っていけば」と誘うが、歌手はやんわりと拒否し、ドルチェにキスをして帰っていった。ひとりになり、満足そうにベッドに寝転がるドルチェ。

 モーテルの部屋で小綺麗に身づくろいすると、クルマで懐かしい実家に到着した。荷物を持ち、実家の玄関をみつめるドルチェ。

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つまりこういう映画(語りポイント)

 ヌードモデルの主人公・ドルチェが、引退を決め、さまざまなカメラマンと最後の撮影をしながら実家に帰るまでロードムービー。

 一見「ザ・レスラー」タイプの「自由に生きてきた人間が、過去の栄光と現実に苦しみ、人生の儚さに身震いする」系の映画のようで、実際にその要素も多いのですが、この映画のドルチェは、状況に対して必要以上に嘆くわけでもなく、現実は現実として素直に受け止めつつあくまで前向き。次の人生へ向かうためのケジメをつけようとしている。そこに、この映画の救いがある。

 ヌードモデルという職業の本質的な哀しさ、同時に、反対側にいるカメラマンの心情も含め、非常に厳しい状況を描いてはいる。自由ということの素晴らしさと厳しさを淡々と描いている。

 ドルチェと若いモデルの会話では、自分たちを雇うオタク・カメラマンをさんざんバカにしながら、実は自分たちも、本当の恋愛とは無縁で、偏った愛しか知らずに生きてきたことを、気付かないフリをしながらも実は思い切り自覚している。両者ともに「壊れている」わけですね。

 非常に淡々と進行しつつ説明も少ない映画ですが、残念だったのは最後のほうになって、急にセリフで心情をペラペラ語りだしちゃったこと。前半を比喩で押したなら、最後までその線でいってくれたほうが良かった。後半にムダなシーンが多いので、最後まで観るまでに、飽きるか嫌になるかという人も多いのではないでしょうか。
 ラスト間際にはまた良いシーンも出てくるので、もったいない。

 以下、個人的に好きだったメタファーの僕なりの解釈を。

・冒頭とラスト、zippo風のライターの火をつけたり消したりするシーン。

 冒頭ではライターの火がそのまま映画の照明になっていて、火を消した時は画面は真っ暗。これは「(人生の)光と陰」というメッセージでしょう。
人は、光輝いたり、闇に堕ちたり、その繰り返しで生きていくものだと。

 モデルとして被写体になっているドルチェは輝いている。表情も明るくイキイキとしている。しかし、ひとたび輝く舞台を降りると、まるで光の反動のように暗い闇に落ち込み死んだ目で酒をあおる。

 きっと誰にも、生きていく上で「輝く場所」と「闇の場所」があると思います、シチュエーション的に。それは普通のことで、当たり前のこと。光があるなら闇がある。闇を受け入れたうえで生きていかなきゃいけない。生きていくとはそういうもの。

 ドルチェが「自分の人生について」想いを巡らす中での、ライターの点灯…消灯…の繰り返しは、刹那的な職業を続けてきた彼女の人生を表現するには素晴らしい演出だと思います。

・カメラマンの妻=常識

 夫の趣味(ヌード撮影)を知った妻。現場をみつけた彼女がドルチェに質問をします。「どうしてウチの台所に裸の女がいるの?」「夫は会計士。会計士にどうしてヌード写真が必要なの?」極めて正しい質問です。彼女と接したことから、以後、ドルチェは非常にイライラした素振りをみせる。
 ここでの妻は「常識」「世間の目」のメタファー。特異な職業で生きてきたドルチェにとって、常に自分の生き方に疑問を呈してくるのは「常識」であり「世間の目」だった。映画の最後近くになって、そこまできて「どうしようもないモラル 常識」と向き合う事になったドルチェの動揺がハッキリと描かれている。

 
・何度もボディーペイントのシーンが出てくる。

 ドルチェが、全身をカラフルにペイントしているシーンがたびたび挿入されます。それは「虚像」「虚飾」「変身願望」でしょう。あるいは「本当の自分がわからなくなっている」という比喩かも知れません。虚像もまた、生きていく術ではあり、必要な要素。

・若いモデルが登場するシーンが決まってモノクロ。

 劇中に、二人の若いモデルが登場しますが、二人の登場シーンのみなぜかモノクロ。すぐにカラーに戻るのですが、二人の登場のタイミングをモノクロにした意味は、推測ですが、歳をとったドルチェにとって、若くて可愛いヌードモデルたちは「もう戦う気もないライバル」。若さには勝てない、戦う気もないのに、でも、その世界にいる限りはライバル…この状況はなかなかにナーバスである。ドルチェにとって彼女たちはに「特に見たくもない」存在。モノクロ画面の意味は、彼女の視点が「色を失う」瞬間を表していると解釈しておきます。

・謎をひとつ

 ドルチェが母との電話での会話の中で、何度か「彼」の話をします。「彼は元気?」「彼のことをいつも思っている。」と。しかし、彼が誰なのかは一切明かされない。推測すると「別れた夫」あるいは「結婚しなかったけど産んで実家に預けた息子」あたりでしょうか。

  暗い映画です。決して面白くないです。
 でも「人生とは」「自由とは」を問う良い映画だと思います。