【映画で語ろう】カムシネマ★3分で語れるようになるポイント【ネタバレあらすじ】

映画を観たなら語りたい。映画の紹介から、ネタバレあらすじ、著者の独断と偏見による「語りポイント」まで。

3分で映画『幸せなひとりぼっち』を語れるようになるネタバレあらすじ

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基本データ・おススメ度

『幸せなひとりぼっち』
原題:En Man Som Heter OVE
英題:A Man Called OVE
2015年 スウェーデン
原作:フレドリック・バックマン
監督・脚本:ハンネス・ホルム
出演:ロルフ・ラッスゴード、イーダ・エングヴォル、バハール・パルス
 おススメ度★★★☆☆(3/5)
 最愛の妻を失くし孤独に生きる偏屈なジジイが、近所に越してきたペルシャ人夫婦と接することで暖かみを取り戻していくお話。序盤、「自殺をしようとすると、必ず誰かが玄関をノックする。また死ねない。」の繰り返しに笑えます。ハートウォーミングな良作。

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◆目次

あらすじ(ネタバレなし)

 スウェーデン郊外。59歳のオーヴェは、半年前に妻に先立たれ孤独な独り暮らし。元・町内会長だったこともあり、規則に厳しく、毎日、街を見回りしては、通行禁止の道路に入る車に怒鳴ったり、放置自転車を勝手にゴミ捨て場に捨てたりする。そんなオーヴェを、町の人は変人よばわりしていた。

 妻と過ごした家の中は、妻が生きていた時と変わらずそのままになっており、偏屈なオーヴェが笑顔を見せるのは、妻の写真を見る時と、お墓に語りかける時だけだった。

 ある日、43年間勤めた会社をリストラされ「妻のところへ行こう」と自殺を決意する。しかし、天井にかけたロープで首を吊ろうとすると、窓の外で車をバックさせている見慣れない家族が目に入る。「そこは侵入禁止だ!」と、表に飛び出した。

 車をバックさせていたのは、向いの家に越してきたペルシャ人一家。運転な下手くそで見ていられなくなり「こうやるんだ」とばかり、手伝ってやるオーヴェ。

 気を取り直して、また首を吊ろうとするが、玄関のチャイムがしつこく鳴る。仕方なしに玄関に行くと、さっきの家族の子供二人がお礼を持ってきていた。あらためて家族に挨拶される。
 三度目。やっと首吊りに成功した…ように思えた。意識が薄れていく。オーヴェの頭に、若い頃の記憶が蘇ってきた。

 回想。幼い頃に母親を失くしたオーヴェ。鉄道会社に勤務する父親はマジメで無口な人だったが。ことあるごとに、オーヴェに「車のこと」「人の正しい生き方」を教え込む。やがて16歳に成長したオーヴェは、父と同じ会社で働きだす。しかし、仕事場の事故で父も他界してしまう。

 現在に戻る。ロープが切れて床に落ちる。死ねない。

 オーヴェはロープを買ったホームセンターに「おんぼろロープを売りやがって」と文句を言いに行く。首吊りはやめだ。次は排気ガス自殺だ。

 車の排気ガスをホースで車内に送り、目をつぶるオーヴェ。

 果たして、変人オーヴェは無事に死ねるのか。

==以下ネタバレ==

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ネタバレあらすじ

 回想。父が死んだ後、実家は、意地悪な役人に立ち退きを迫られていた。拒むオーヴェだが、ある日、家が火事で全焼する。家を失ったオーヴェが車庫で寝ていると、翌朝、電車が走り出し、車内で美しい女性ソーニャと出会う。のちの愛妻だ。二人はつきあい、やがて結婚する。

 現在。向かいのペルシア人の妻、バルヴァネがガレージのシャッターを叩いたことで目を覚ましてしまったオーヴェ。自殺はまた失敗。バルヴァネは子供が怪我をしたので病院まで車で送って欲しいと頼みにきた。仕方なしに送って行き、病院の待合室で子供と遊ぶオーヴェ。

 電車に飛び込もうと考えるが、先に、別の男性が線路に倒れた。助けるオーヴェ。どうしても死ねない。

 庭で怪我をいた猫を引き取ることになる。バルヴィネに車の運転を教えることになる。向かいに越してきたバルヴィネ一家がいることで、日々が忙しくなってきたオーヴェ。

 回想。若い頃のオーヴェと親友のルネ。二人は地区会長と副会長。二人で街のルールを決めていった。仲が良かった。しかし、どうしても理解しあえないことがあった。車の趣味だった。そして疎遠になってしまった。

 現在。そんなルネは、今は車いす生活で、しゃべることもできず意識もままならない状態だった。

 オーヴェは、バルヴィネ家の子供たちとすっかり仲良くなる。ソーニャの教え子だった若者とも出会い、自転車を修理してやったりもする。新しい出会いから始まった新生活で確実に明るさを取り戻しているオーヴェ。

 ある日、パルヴァネは「家の整理をしない?前に進まなきゃ」といってみるが、それを聞いてオーヴェは怒る。バルヴィネは、オーヴェがいつまでも死んだ奥さんのことばかり考えているのは良くないと思っている。

 ルネを施設に連れて行こうとする役所の職員。一緒にいたいルネの妻は抵抗している。職員がオーヴェにも妻の死を皮肉ったような言葉をぶつける。怒って荒れるオーヴェ。部屋の中で泣き崩れる。

 夜、猟銃で死のうとするが、ソーニャの教え子がタイミング良く玄関のチャイムを鳴らしたため、弾丸はあさっての方向に。「なんだお前ら」と玄関にいくと、ゲイの友達が困っているとの相談。「知るか」と追い返そうとするが「ソーニャ先生なら助けてくれた」と言われ、彼らを家に泊めることに。翌日、若者たちが朝食を作ってくれる。いつものように近所のみまわりに出るオーヴェに、ゲイの若者や青年や近所の青年もついてくる。

 明日、ルネが施設に連れて行かれると聞く。オーヴェは役所に文句の電話をかけるが相手にされない。「一方的に怒鳴るからよ」、頑固で偏屈なオーヴェを見かねたバルヴィネは、説教をし「もう帰って」と突き放す。すると、ソーニャの事を語り始めるオーヴェ。

 回想。ソーニャが妊娠。「子供が生まれる前にへ旅行に行きたい」と言う希望を叶えてやり、二人はスペインに旅行に行った。楽しそうな二人。しかし、移動中、バスが崖に転落しソーニャは意識不明になる。一度は「彼女はもう目覚めない」と告げられるながらも、奇跡的に意識が戻ったソーニャ。しかし、お腹の子供はもう命を失くしており、ソーニャも車椅子生活になる。ソーニャは教師の資格を取るが、車椅子の教師を採用してくれる学校がみつからない。ある日、問題児を集めた特別クラスの教師を募集していると知り応募する。オーヴェが彼女が働けるように、学校の階段にスローブを作ったり、いくら訴えても役所がしてくれないことを頑張ってやった。おかげでソーニャは採用され、一年後には生徒に感謝される教師になっていた。

 オーヴェは、スペインのバス会社、酔っていた運転手、なにもしてくれない政府に、かたっぱしから抗議の手紙を送り、告発しようとしたが、ことごとく却下された。そんな時、ソーニャから「今を力一杯生きるのよ」と言われ、気持ちが救われた。

 現在。ルネを連れ去りにやってきた役所の職員を退散させるが、その帰り道、オーヴェ倒れる。心臓発作だ。救急車で運ばれるが命に別状はなかった。医者の「心臓は大きすぎる。」との言葉に大笑いするパルヴァネ。バルヴィネは笑いすぎて産気づき、そのまま三人目の子供を産んだ。

 オーヴェはパルヴァネに子供用のゆりかごをプレゼントする。パルヴァネの赤ちゃんを抱くオーヴェ。

 冬。雪の降る朝。8時になっても雪かきがされていないことを不審に思い、急いで寝室に駆けつけるバリヴァネ夫妻。オーヴェは息を引き取っていた。遺書があった。オーヴェは死期を悟り遺書を書いていた。「私を認めてくれた人だけで、ささやかな式をしてくれ。猫のえさは一日に2回、必ずやってくれ。」

 葬儀にはたくさんの住民が集まった。オーヴェは天国でソーニャと再会する、手を握り合う二人。

つまりこういう映画(語りポイント)

 冒頭、花屋さんの店頭。「ひと束50。ふた束なら割引で70。」の花をひと束持ってレジに行き、50の請求に納得いかず「ふた束で70なんだから、ひと束35だろう!」と怒る。曲がったことは大嫌い…というエピソードかと思ったら、店は曲がってなくてジジイが曲がっている。

 変人にもルーツがある。

 町内で偏屈ジジイと思われているオーヴェだが、そんな彼の性格の理由が、回想シーンをつなぎあわせればわかる。幼い頃から父親に「ルール」「正義」を教えられ、母の死、父の死、さらに家を失くし、妻の事故、子供も失くした。そして、役所の理不尽さ、世の中の理不尽さに晒される、波乱万丈な人生を送ったことで…。

 若いころ「許せないものは許せない」だった正義感が、歳をとって妙な方向に味付けされ「許せないものは、例え相手が正しくても、許したくない」に変わった。もはやジジイの意地。

 家は、最愛の妻が生きていた頃と変わっていない。コートは玄関にかけたまま、二人用のベッドの片側で寝る。キッチンが低い…理由は後半でわかる。

 常に不機嫌な顔をしたオーヴェが笑顔をみせるのは、妻の写真を見ているときだけ。そんな彼を気遣う、向いに越してきたペルシャ人女性バルヴァネの活躍が、この映画を暖かい方向へ導いていく。

 序盤「自殺をしようとすると誰かが玄関をノックする。死ねない。」の繰り返しですが、この「誰かのノックに救われる」設定は「不幸を回避する方法は、孤独を回避すること。」あるいは「人は隣人の愛によって救われる」というメッセージにもとれる。

 結局のところ、それだけのお話なのですが、その「それだけ」が尊い。

 変人と言われている近所のジジイに暖かく接するペルシャ人のバルヴァネ。その温かみを感じながら「自分もまた、隣人を愛そう」…そう思えたなら、この映画を観た価値は充分にある。